桜ん坊
浅野目義英

  山形から上京していた歌人斉藤茂吉は、母の死を目前にし『みちのくの 母の命を一目み ん 一目みんとぞ ただに急げる』と歌い山形に急ぎ帰っていった。旧国鉄最大の難所板 谷峠を戻ったに違いない。崖の中を突き進むこの峠が、山形内陸地方と外界を結ぶ唯一の 鉄路だ。私はよくこの峠のことを考える。厳しい傾斜で細く長く続く板谷峠から、一体何 人もの人が、どんな気持ちで都市へ出ていったのだろうかと。
  岩から流れ出る清水のよう に、山形人は板谷峠から細く広がっていった。雪深く貧しい地から様々な理由で故郷を後 にしながら。「調子のいいヤツは好かない。不利になろうが自ら決めたことは必ずやり抜 く。妥協せずにコツコツ仕事をし生きていく」山形人はこんは風に評される。
  当たり前の ことだ。横綱柏戸も、写真家土門拳も、教育者無着成恭も、作家井上ひさしも、歌手岸洋 子も、みんな壮絶な意思を持ち、都市へ出ていったのだ。たった一人でこの厳しい崖の板 谷峠から。


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