上高生であったことの誇り
浅野目義英(五十一年度卒業)

  受験番号は一六六番だった。私は上履きを忘れてしまい、はだしで入試を受けるというと ても恥ずかしい思いを体験した。合格発表の日は、先に着いて待ち構えられていた友人か ら「浅野目落ちてたよ」と言われ、表現し難いくらいに慌てた。けれど、愕然としながら 掲示板を見て一六六番をしっかり確認するやすぐに、私は目茶苦茶彼のことを追いかけ回 した。
  ヒマヤラ杉が正門からきれいに列をつくり、鼠色の二つの校舎が平行に伸び、やた ら校庭のだだっ広い上高に、昭和四十九年四月私は入学した。規則の少ないとても自由な 雰囲気と評判の学校であった。
  不意をついて思い出すことがある。一夜漬けばかりで苦し みの連続だった中間、期末、旺文社テストのこと、それらのテストが終わった後ナント三 日間!も続いて挙行され県内でも名物だった球技大会のこと、友人と授業をさぼり自転車 で二人乗りをしながら緑一面の荒川の土手にでかけて寝転んでいたこと、夜遅くまで天井 を見つめながら聴いた深夜放送のこと、予備校の夏期講習会ではつい眠ってばかりいたこ と、校長批判のビラを校内中に貼ったこと、北社夫の「幽霊」とドエトエフスキーの「貧 しき人々」を何べんも読み返したこと、そして何度も涙を流してしまったこと、通信添削 をやる気になり郵便局に貯金をおろしに張り切って出かけていき「お金おろして下さい」 と言ったところ、相手の職員の態度がどうもおかしいので見回してみたらそこはNTTだ ったこと・・・・・。心の中に潜んでいたはずの数限り無いそれらのことが、一つ一つゆ っくりとよみがえってくることがある。
  人はみな若い頃のことを顔が真っ赤になるくらい 気恥ずかしい気分で振り返るものだ。しかしまた、充分若く何よりも純粋で情熱があった あの頃のことをうらやましくも懐かしく思い出すのではなかろうか。三年間、私は上高で 生活の大半を送った。誰もと同じ気恥ずかしく、情熱のあった時代であった。
  上高時代、 私自身がとても好きな一人の先生がいた。この先生の話の中に今でも忘れることができな ものがある。授業中、いつも笑い話ばかりの先生が、静かに話してくださった「権力者に 迎合することは狡猾者のすることだ」という話だ。私は感動で胸が高鳴り、体中の血液が ぐるぐる回ったことを、覚えている。知識の羅列だけでもなかったし、ストレスがたまっ ているということもなかった。高潔にして理想主義を貫けという話を授業中よくしてくだ さった。後年、私は大きな真理の詰まったこの話にどれだけ勇気づけられることが多かっ たことだろうか。
  上高の良かったところは、何かをチャレンジしやすいように、自由での びのびとした環境づくりに学校が努力を傾けてくれていたという点であり、また自分や相 手の立場にこだわり続けることの無い大らかな、そして既製品になることの無い大胆な人 間になれと教えてくれる先生がいた点である。
  これらのことが、私の無上の誇りである。


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